また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。
もし人が、イエスを神の子と告白すれば、神はその人のうちにいまし、その人は神のうちにいるのである。
すなわち、 「主が言われる。わたしは生きている。 すべてのひざは、わたしに対してかがみ、 すべての舌は、神にさんびをささげるであろう」 と書いてある。
あなたがたはわたしを教師、また主と呼んでいる。そう言うのは正しい。わたしはそのとおりである。
あなたがたは、こうして神の霊を知るのである。すなわち、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は、すべて神から出ているものであり、
なぜなら、キリストは、死者と生者との主となるために、死んで生き返られたからである。
そこで、あなたがたに言っておくが、神の霊によって語る者はだれも「イエスはのろわれよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。
わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。
あなたがたは、このキリストによって、彼を死人の中からよみがえらせて、栄光をお与えになった神を信じる者となったのであり、したがって、あなたがたの信仰と望みとは、神にかかっているのである。
わたしたちには、父なる唯一の神のみがいますのである。万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する。また、唯一の主イエス・キリストのみがいますのである。万物はこの主により、わたしたちもこの主によっている。
勝利を得る者は、このように白い衣を着せられるのである。わたしは、その名をいのちの書から消すようなことを、決してしない。また、わたしの父と御使たちの前で、その名を言いあらわそう。
だから人の前でわたしを受けいれる者を、わたしもまた、天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう。
あなたがたは、神がすべての者の主なるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、イスラエルの子らにお送り下さった御言をご存じでしょう。
だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」。
両親はユダヤ人たちを恐れていたので、こう答えたのである。それは、もしイエスをキリストと告白する者があれば、会堂から追い出すことに、ユダヤ人たちが既に決めていたからである。
それは、すべての人が父を敬うと同様に、子を敬うためである。子を敬わない者は、子をつかわされた父をも敬わない。
主はわが主に言われる、 「わたしがあなたのもろもろの敵を あなたの足台とするまで、わたしの右に座せよ」と。
なぜなら、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白しないで人を惑わす者が、多く世にはいってきたからである。そういう者は、惑わす者であり、反キリストである。
第一の人は地から出て土に属し、第二の人は天から来る。
異邦人もあわれみを受けて神をあがめるようになるためである、 「それゆえ、わたしは、異邦人の中で あなたにさんびをささげ、 また、御名をほめ歌う」 と書いてあるとおりである。
トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。
これらのことを語り終えると、イエスは天を見あげて言われた、「父よ、時がきました。あなたの子があなたの栄光をあらわすように、子の栄光をあらわして下さい。
しかし、役人たちの中にも、イエスを信じた者が多かったが、パリサイ人をはばかって、告白はしなかった。会堂から追い出されるのを恐れていたのである。
きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。
その日ユダは救を得、イスラエルは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる。
このゆえに主よ、 わたしはもろもろの国民のなかであなたをたたえ、 あなたのみ名をほめ歌います。
イエスは彼に答えて言われた、「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう。
しかし、主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである。